七色粉白粉が行った提案

2011.04.26

「従来の白に加えて、黄色と肉黄の二色と、今回の『ばら』『ぼたん』『緑』『紫』合計七色を肌の色に合わせて使用しましょう」という七色粉白粉が行った提案は、化粧品販売の小売店のみならず、一般大衆にも斬新な印象を与えたのである。当時の資生堂製品総目録の中で、「色の白い人は肉黄、ばら色、黄。色の青い人はばら色、牡丹。色の黒い人はばら色、牡丹、紫、黄。色の赤い人は緑、肉黄」というように、人それぞれの美しさを顔色と粉白粉のカラーハーモニーで考えた、ファッションの先端をいくすばらしい提案と評価された。また、各種のクリーム類が発売されたのもこの時代である。バニシングクリーム、コールドクリーム、スムージングクリームなど、各本舗から特徴あるクリーム類が相次いで発売された。その他、男性のポマード、チック、ローションなどのヘア製品も充実し、メーキャップ商品も大正三年キスミー口紅、クラブほほ紅、クラブ美爪料、四年にはヘチマコロン(天野源七商店)、六年オペラ口紅(中村信陽堂)、八年ルブランの「母と子」を商標にした中山太陽堂のカテイ石鹸など新しい商品が勢ぞろいする時代である。なお、口紅は江戸時代、紅猪口といわれる盃に紅が塗られ、乾いた状態の容器に紅さし指の薬指をなめて紅をとり唇に塗っていたが、明治から大正期にかけて、容器は紅皿を使用したものに変化し、また板紙に紅を塗り付けた携帯用の紅板、が販売されていた。
(参考)
アンチエイジングの事実

アンチエイジングの原料

アンチエイジングの使用手順